随分前に買って手つかずだった、内村鑑三 著 『代表的日本人』今日また読み出しました。ちょうど3章の二宮尊徳からだったのですが、一気にこの章は読み切りました。うーん小学校にある銅像の人、全く知りませんでした。(話は聞いた事はあるかもしれませんが、深い内容は今日が初めて)すごい人です。
自身にも強烈に響きました。この姿勢、心掛け無いと、、。わかっていても実践出来てないのがダメですね。
政治家さんや、世の中の人を束ね、導くべき偉い人たちもこの内容を読んで考えて欲しい。
いまこそ大事だと思う。
以下引用
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国が飢饉をむかえ、倉庫は空になり、民の食べるものがない。この責任は、治者以外にないではありませんか。その者は天民を託されているのです。民を善に導き、悪から遠ざけ、安心して生活できるようにすることが、与えられた使命ではありませんか。その職務の報酬として高禄を食み(はみ)、自分の家族を養い、一家の安全な暮らしがあるのであります。
ところが今や、民が飢饉におちいっているのに、自分には責任がないなどと考えています。諸氏よ、これほど嘆かわしいことを天下に知りません。この時にあたり、よく救済策を講じることができればよし、もしできない場合は、治者は天に対して自己の罪を認め、みずから進んで食を断ち、死すべきであります!
ついで配下の大夫、郡奉行、代官も同じく食を断って死すべきであります。その人々もまた職務を怠り、民に死と苦しみをもたらしたからであります。飢えた人々に対してそのような犠牲のもたらす道徳的影響は、ただちに明らかになりましょう。
「御家老様と御奉行様が、もともとなんの責任もないにかかわらず、私たちの困窮のために責任をとられた。私たちがおちいっている飢饉は、豊かなときに備えようとせずに、ぜいたくと無駄遣いをしたためだ。立派なお役人をいたましい死に追いやったのは私たちのせいである。私たちが餓死するのは当然だ」
こうして飢餓に対する恐れも餓死に対する恐怖も消え去るでありましょう。心は落ちつき、恐怖は除かれ、十分な食糧の供給も間もない。富めるものは貧しき者と所有を分かち、山に登って、木の葉、木の根も食べることになりましょう。たった一年の飢饉では、国にある米穀をすべて消費しつくす心配はありません。
国に飢饉がおこるのは、民の心が恐怖におおわれるからであります。これが食を求めようとする気力を奪って、死を招くのです。弾丸をこめてない銃でも、撃てば臆病な小鳥を撃落とすことがあるように、食糧不足の年には飢餓の話だけで驚いて死ぬことがあるものです。
したがって、治める者たちが、まずすすんで餓死するならば、飢餓の恐怖は人々の心から消え、満足を覚えて救われるでありましょう。郡奉行や代官にいたるまでの犠牲をまたずに、良い結果が訪れると思います。このためには家老の死のみで十分であります。諸氏や、これが、なんの手だてもないときに飢えた民を救う方法であるのです」
講話は終わりました。家老は恥じて恐れいり、永い沈黙ののちに言いました。
「貴殿の話に異議はない」
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引用終了